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アフターダーク/村上春樹 二項対立の表現

アフターダーク (講談社文庫)

こんにちは。Cedar(シダー)です。
 
つい最近知ったのですが、amazonの電子書籍Kindle版に村上春樹の小説が登場しました。
全ての作品ではありませんが、初期の作品や「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」などの新しい作品もあります。
まだ読んだことのなかった「アフターダーク」を購入してみたので感想と考察をまとめます。 
アフターダーク (講談社文庫)

アフターダーク (講談社文庫)

 

 

 
 
※この記事はネタバレが含まれています。
まだ読了されていない方は、是非読了されてから読まれることをお勧めします。
多分スッキリしますよ!
 

れまでの村上春樹作品と一線を画す作風

 
村上春樹の作品は好みが大きく分かれます。好きな人は大好きだけど嫌いな人はもう読みたくないというほどです。
 
私はもう少しフラットな気持ちで読んでいると思っています。
物語の中に現れる主人公の生活に憧れてるという方がいいのかもしれません。
「海辺のカフカ」の主人公田村カフカみたいに、素っ裸になって誰もこない家で本を読んで過ごす生活とか、心から憧れます。
 
そんな私の話は横に置いておいて、村上春樹作品と「アフターダーク」の話です。
 
通常の村上春樹作品は、物語の主人公となる「僕」の視点で物語が進んで行きます。
「海辺のカフカ」の「僕」、「ねじまき鳥クロニクル」の「僕」、「ノルウェイの森」の「僕」などなど。
それらの「僕」がちょっとおしゃれな、比喩的な、禅問答的な話口調で物語を進めていくため、読んでいる人の中には「何カッコつけてんだ?」「そんなこと言う人いないだろ?」と、実世界との相違を感じ感情移入できないことがあるのかもしれませんね。
逆に村上春樹ファンにとっては「それがいい!」という人もいるので、本当に好き嫌いの問題なんでしょう。
ただ、アンチファンが多いということはそれを上回る熱狂的なファンもいるということなので、村上春樹がいかに人気のある作家なのかを逆説的に証明してしまっています。
 
本作「アフターダーク」では、まず「僕」による一人称の視点がほとんどありません。(あるとすれば「わたしたち」の三人称による視点です)
物語の主人公であろう、マリと高橋においても俯瞰的な表現で情景が描かれていきます。これは村上春樹作品には本当に珍しいことです。
 
また、ちょっとおしゃれな話口調も他の作品に比べて少ないです。
マリと高橋の会話の中ではいくつか出てきますが、それでも他の作品に比べて著しく少ないです。
 
これは後の考察で説明しますが、この小説が持つテーマによるところが大きいと思います。
 

語の大きなテーマ

 
「アフターダーク」を初読して、心の底から納得して読了した人はいないと思います。
それほどこの作品には謎が多いし、字面をなぞっていくだけでは謎しか残らないとおもいます。
私も、「高橋とマリが将来くっつけばいいなぁ」とか「朝って気持ちいいなぁ」くらいの感想しか残りませんでした。(浅すぎますよね…)
 
村上春樹作品にはよくありますが、その物語の裏にあるテーマを想像していかないと、作品をより深いところまで読み込んでいくことができません。
 
今回の作品で私が感じたテーマは「二項対立」です。
 
次からその理由を説明していきましょう。
 

フターダーク(夜から朝へ)

 
物語は秋の終わり、夜から深夜へ移り変わる時間からスタートします。
 
季節は秋の終わり 。風はないが 、空気は冷ややかだ 。あとほんの少しで日付が変わろうとしている 。 

引用:本文より

 

物語の全てはこの深夜(ダーク)の間に行われます。
そして物語の最後、深夜は姿を消し朝にバトンタッチします。
 
夜はようやく明けたばかりだ。次の闇が訪れるまでに 、まだ時間はある。
引用:本文より
 
この文章でこの物語は終了します。
夜の中で繰り広げられる色々な事件や出来事を詳細に描きながら、朝の動きについてはたくさんの生命の集合体の普遍的な行動のように描かれています。
 
これらの夜と朝の対比が物語の「はじまり」と「おわり」を構成しているのです。
 

力と平和

 
読者のほとんどが思った疑問は、白川のストーリーは主人公のマリと高橋のストーリーとどんな関係性があるのか、でした。
中国人娼婦への暴力事件をきっかけにマリとアルファヴィルのマネージャーカオルをつなげることはしましたが、それ以外は全く関係がありませんでした。
なぜ村上春樹はそのような白川のストーリーをその後も描き続けたのか。
それは「暴力」の表現である白川と、「平和」の表現である高橋を対比させるためだったのではないでしょうか。
しかし同時に白川の愛情も描かれています。
それは白川の妻との関係性です。仕事帰りにおつかいを頼まれて快く承諾する白川。
妻と電話のやりとりをしている少し前、白川は中国人娼婦を買いさらに暴力をふるっています。
人にはそのように暴力と平和の二面性が共存していることを表現しているのではないでしょうか。
また高橋にも同様のことが伺えます。
 

僕は平和主義者で 、性格温厚 、子供のころから誰かに向かって手をあげたことだってない 。

引用:本文より 

 

そんな平和主義の高橋も刑事裁判を傍聴した際に
 
僕ら自身の中にあっち側がすでにこっそりと忍び込んできているのに 、そのことに気づいていないだけなのかもしれない 。
引用:本文より 
 
と、自らの中に暴力的な何かが潜んでいる可能性を示唆しています。
 
「暴力」と「平和」を同包している私たちですが、たまたま「暴力」が多く出ている白川と、「平和」が多く出ている高橋を同時進行のストーリーとして表現しているのです。
 

と妹

 
姉妹なのに全く違う人生を歩んでいる二人、エリとマリ。
 
この二人も対照的に描かれています。
 
眠り続けている姉のエリは「静」、夜の街で眠らずに活動している「マリ」は「動」として表現されています。
 
また現在ではない近い過去の表現として、モデルで社交的な姉エリは「動」、エリと比して可愛くないため勉強をしていた妹マリは「静」として描かれており、現在ではそれらが逆転していることを表しています。
 
しかし姉妹でありながらどうしてそのような差が出てしまったのか。
それについは高橋が述べています。
 

なんで僕らはみんなべつべつの人生を歩むようになるんだろうね ?つまりさ 、君たちの場合でいえばだけど 、同じ両親から生まれて 、同じ家で育って 、同じ女の子で 、それがどうしてそんなにがらっと色あいの違う人格になってしまうんだろう ?どこにその 、別れ道みたいなものがあるんだろう ?

引用:本文より 

 

物語の終盤、マリが高橋に告白しています。
幼少の頃にマンションのエレベーターに姉妹二人で閉じ込められてしまう。
真っ暗なエレベーターの中で、姉エリは妹マリを抱きしめて、耳元で「大丈夫」と囁き続ける。
二人の幼女は暗闇の中で一つになりながら一体となって時間を過ごす。
 
でもそれが最後だった 。それが … …なんていうか 、私がエリに対していちばん近くまで行くことができた瞬間だった 。私たちが心を重ねあわせ 、隔てなくひとつになれた瞬間 。それからエリと私はどんどん遠く離れていったような気がする 。離ればなれになって 、そのうちにべつべつの世界で暮らすようになった 。

引用:本文より

 

エリとマリはそれから別の人生を歩むようになっていきます。
どちらがどちらになるのかもその時決まったのであり、状況が変わればエリはマリになっていたかもしれない。
ここでは一体だった姉妹が分かれていく状況を表現されています。
エリとマリという一文字違いの名前も、同じようでありながら全く違うことを表現しているのかもしれません。
 
そしてそんな姉妹も朝に差し掛かるとき、エリのベッドの中で一体になることができるのです。
「静」の象徴であったエリの口元がかすかに動いたのも、「動」であるマリと一体になったことによる作用なのかもしれません。
 
 

「顔のない男」の謎

 
マリとエリと高橋と白川を相互に結びつける要素として登場したのではないでしょうか。
唯一設定のなかったエリと白川を結びつけるために、エリは白川の事務所のようなところに閉じ込められました。
落ちていたボールペンも安易にそれを示唆していますね。
個人的には、ちょっと安直すぎるなと思ってみてしまいました。
 
 

「わたしたち」の謎

 
こうやって考察を重ねてきましたが、まだ整理がついていないのが「わたしたち」とは一体なんなのか。
中立な象徴として描かれていますが、なんのために描かれているのかがよく理解できいません。
 
今考えているのは、白川と高橋、エリとマリのように対立項で描かれるキャラクターを超越したものとして「わたしたち」は描かれているかもしれません。
「わたしたち」は複数形でありながら多数の思想や視点を持っているわけでもなく、一個体として描き続けられます。
 

後に

 
アンチ村上春樹の人は、前述のキザな表現の他にこのようにわかりにくい表現方法にも嫌気がさしているのかもしれませんね。
しかし私が考察したように、自分で物語の奥に流れている作家の思いを想像することで、より深く読み込むことができますし、新しい発見もできるのではないでしょうか。
さらに私以外にも色々は考察をされる方もいます。
人によって捉え方はそれぞれなので、あなたがそれらを選んで感じればいいと思っています。
是非、アフターダークだけでなくその他の村上春樹作品を読んでいただき、各々が各々の解釈をしてもらえればと思います。
 
最後まで読んでいただきありがとうございました。